1990年代後半の話

また、個人的な勝手な話シリーズです。ワクチンのこと、薬のことは、色いろとネタは揃えておりますが、それはまたの機会にこちらで紹介できればと思います。

2002年から2年間、ニューヨークに移り住んだのですが、その前にちょこちょこと旅行でマンハッタンを中心に訪れておりました。当時はインターネットの黎明期、でもないか、黎明期が少し過ぎた頃でしょうか。メールもウェブもあり、旅行の予約もウェブでできました。

当時の数年前まで、ベンチャー企業っぽかったHISが大きくなり、格安航空券とホテルのセットをウェブで買うことができました。97年頃から、頻繁にNYを訪れ、最初のうちは、オプショナルツアーで1日観光などにも参加しました。

個人旅行が主流になり、結構1人で行けるようになると、オプショナルツアーとか馬鹿にしがちになりますが、むしろ、少しそこを知った後にオプショナルツアーに参加するとすごく楽しいです。なぜなら、もう結構その街を知っていると思いきや、知らないことだからけで目から鱗の連続。

ツアーはマンハッタンのミッドタウンからスタートして、バッテリーパークから自由の女神に行って、その後解散という感じで、途中でチャイナタウンでお昼ご飯も食べたりするのです。

すでに色々と色いろと行った事のある僕にとって、その時の日本人のガイドさんがすごく話が面白く、色いろ知識も豊富で、価値のある時間でした。

僕は一人で参加しましたが、お昼ご飯の時に、老夫婦に色いろと話しかけられ、僕はすでに一人でNYに何回か来ている事を言ったり、製薬会社に勤めているという話をしたりして、そんな交流もできて楽しかったです。

エンパイアステートビルに登って、NYCを眺めていつも思っていたのは、この街に住みたい、という事でした。なぜかはわかりません。

ベーグルと、ジャズと、ミュージカルは好きだったことは間違いありません。ただ、それだけの理由ではもちろん、住むことはできません。

そしてNYに住むということに向けて具体的に動き出し始めるのでした。1998年頃のことです。日研化学株式会社でMRをしておりました。

月並みで本当にベタなのですが、独りで海外に行くと、やっぱり人生観が変わります。これは本当です。

さてオプショナルツアーは大体半日観光です。日程は1週間くらいあるので、他の日は独りで自由行動です。

まず朝起きて、ベーグルショップに行くのです。大体アッパーからロウアーまでのベーグルショップに行き尽くしました。個人的に好きだなと思ったのはMurraysです。そしてロウアーのDavidsも、穴場だと思いました。

カフェが終わると、とりあえず散歩するのですが、TKTSに行って、昼の部のミュージカルの半額券をチェックしに行きます。良いのがあると、買います。良いのがない時には、ジャズクラブの昼の部に行きました。ジャズクラブに行くと、ミュージシャンと話とかできたりする距離感なのです。結構、話しました。たまに日本人ミュージシャンも来ていました。

昼で結構行ったのが、イーストの6のインド街です。ストリート全部インド料理で競争があるのかわかりませんが、お得なランチセットがあるのです。4.9ドルとかで、カレー3種類くらい食べられました。ある店ではシタールの演奏なんかがあったりして、ジョージハリスンを思い出しておりました。

ちなみに、日本人街というのはなくて、ただ、やっぱりイーストの9くらいか忘れましたが、日本食が結構並んでいたりしました。蕎麦屋もあったり。日本酒のバーがあったりしました。まあなんというか、独りで気楽、気ままでした。今思えば。そういう旅行も、MRという仕事だからできたのかと思います。有給休暇とか、勝手に取れますから。

夜はミュージカルを見ていて、それが終わると、夜中はジャズクラブに行きました。ミュージカルは見すぎて、トニー賞をとった作品はほぼほぼ見て、さらにオフブロードウェイも見ました。まあ、当時、キャッツのミストフェリーを日本人がやっていたのに衝撃を受けたのを覚えています。その人は今頃何をしているのでしょうか。

お気に入りのジャズクラブは、ビレッジバンガードの後のZinc Barでした。特にZinc Barは観光客も少なく、なんか自分もニューヨーカーになっちゃった気分がする場所でした。英語もわからないのに、カウンターに座ると、店の人や隣の人と話したり。すごく高揚感があったのを覚えています。

実はその後、東京医大の整形外科の先生でなおかつジャズ評論家として一流の小川隆夫先生にマンハッタンでお会いしたりしました。マンハッタンで会う前に、千歳烏山の整形外科でアポイントを取ったりして。こんなことも、MRだからですよね。

というわけで、ベーグルショップ、ジャズクラブ、ミュージカルはほぼほぼ抑えていたのです。

その後、MR10年目の2002年に会社を辞めることになるのです。2001年の9-11の翌年です。9-11に関しては、別記事で書きたと思います。

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