小説 MR榊田 「フラッシュ」(前編)

2013年に医薬経済社に連載していたものです。備忘録に残しておきます。そして、この作者は私であることをカミングアウトさせていただきます。笑

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小説 MR榊田 「フラッシュ」(前編)

2013/01/27

連載 : 小説 MR榊田

「この辺も変わったな・・・」

 助手席のウィンドウ越しに流れる街並みを眺めて、榊田修はしばし感慨にふける。都内の三流大学の文系を一浪一留でなんとか卒業し、外資系の製薬会社に就職し、MRとしてこの縁も所縁もない土地に配属されたのが25年前。5年間をこの無縁の西日本の都市で過ごした。お調子者の榊田が、上司に怒られ、MSにプッシュされ、先生に怒られながらMRとしての礎を構築した思い出の土地に、今度は支店長として20年ぶりに、単身赴任で帰ってきたのである。

「まあ、あのころは、良かったな・・・」

 運転席の3年目の若いMRである林にむかって榊田はつぶやいた。

 当時のMR活動は、現在とは隔世の感がある。接待は日常、学会は医師に随行して大名旅行、土日はすべてゴルフ。麻雀、競馬、パチンコ・・・。榊田自身はこういう活動が嫌いではなかった。いや、むしろMRはなんてすばらしい仕事なんだろうと思っていた日々であった。

 時代は変わり、MRも変わり、仕事も変わり、そして榊田も変わったのだ。この地を離れ、都会に転勤し大学病院を担当し、仕事は専らエビデンスに基づいたディテールが中心となり、結婚し、2児の父となり、世田谷区に一軒家を購入し、課長になった。接待もなくなり、ゴルフもなくなった。今となっては、このスタイルに慣れている。考えてみれば、昔が異常だったのだ。

 榊田に辞令が出たのは、まじめに仕事をし、若手からお手本として尊敬されている、また、家に帰れば良き父親として過ごしている・・・・そんな矢先のことだった。もちろん、MRであれば、転勤は常に想定の範囲ではあるのだが、今回の事例はちょっとタイミング的に想像できなかった。

 急すぎる。来月一日に赴任なんて・・・。榊田が敢えてこの急な辞令を受け入れたのは、3階級特進の栄転であったからである。苦戦している西日本のある都市をテコ入れする人材ということで、榊田に白羽の矢が立ったのだった。昇進もするし、大幅に昇給もする。高校と大学に通う子供二人と、調剤薬局で働く妻を残して、単身で赴任する決意をしたのであった。

「あ、俺、ちょっとここで降りて、用をすますから。先に支店に帰ってて」

 運転席の林にこう言い残すと、榊田は車から降りた。不思議そうな顔を残しながらも林は頷き、上司である榊田を降ろすとお辞儀をして車を発車させた。走り去る林の営業車が見えなくなるまで手を振った後、榊田は閑静な住宅地の中を歩き始めた。

 どうしても会いたい人がいた。その人と音信不通になってからは22年経っている。22年も音信不通であれば、もう記憶から消されても不思議ではないし、仮に記憶に残っていたとしても、今後一生会わなくても特段不都合は無い人物と考えてもおかしくはないはずであるが、その人は違う。

「会って、すっきりして、支店長として前に進もう・・・・」

 22年間、ことあるごとに思い出しては忘れようとしていた人物に、榊田は敢えて会う決心をしたのだ。

 水曜日の午後の住宅街。人通りはほとんどなく、スーツ姿の榊田の靴音が、アスファルトに響き渡った。

*****

——「川田医院」

 どことなく昔の雰囲気のブロック塀に掲げられた看板の前で榊田は歩を止めた。角地に建つ、周囲にくらべ一際立派な邸宅の、西側に面した部分が川田医院の入り口である。中に入ると待合室、その奥に診察室がある。さらにその奥が邸宅部分となっている。

 榊田は、この医院の院長、川田に会いに来たのだった。アポイントをとっていなかった榊田は、ネクタイを絞りなおして、意を決してチャイムを押した。

「すみません。今日は休診で院長は研究会に出かけております・・・」

 しばらく応答がなく、帰りかけたときに、裏手から品のよさそうな女性が顔を出し、そう言った。川田の夫人であろう。

「ありがとうございます。失礼しました。また伺います」

 特に名乗る必要はなかった。製薬会社や卸業者の訪問が多いので、自分もその中の一人だと思ってくれているだろう。一礼して、榊田はその場を去った。

「・・・・・あれ??  まさか」

 夫人と思しき女性の顔が、川田の脳裏をよぎる。そして20年前の事がフラッシュバックする。 

★★★★★

・・・・・・回想 20年前、この地域で一番大きな基幹病院を担当していたときのこと。

 この病院を回ってかれこれ5年になるなあ。KOL(Key Opinion Leader)対策とか、新規納入とか、説明会とか、もうやり尽した感がある。そろそろちがう地域でも担当したいけど、また来期は新製品が出るし、もうひと頑張りしなきゃ

 榊田修が新卒でMRとなって以来、5年が経過した。色々と失敗も有ったが、今は経験も豊富な中堅として支店でも期待のホープである。そろそろ転勤か、と思いながら、数年が経ち、担当している地域にも、病院にも飽き始めていた。モチベーションのキープが彼の課題であった。

「こんにちはぁ〜」

 なれなれしく榊田に挨拶をしている浜崎舞は、国内中堅製薬メーカーの新人MRだ。まじめ人間。まじめの代名詞。伸ばしっぱなしの髪の毛はただ後ろで結ばれ、まるで田舎の受験生のようである。服装は色こそ若干明るい感じにしているものの、これが紺ならまるで就活のリクルートスーツだ。満面の笑みをたたえて挨拶をしているが、なんとなく無理がある。

 風光明媚な田舎で育った浜崎は、中学高校と成績優秀、特に理科が得意だった。高校の進路指導の教師は、人見知りで、そのうえ男子が苦手な彼女に、理工学部などの男臭い学部の受験を勧めず、かわりに、少しでも女子の多い薬学部を勧めた。

 浜崎はただ進路指導を受け入れ、地元の公立大学の薬学部に進学した。毎日繰り返される授業、レポート、実験、テストもそつなくこなし、優秀な成績で卒業した。

 研究テーマだった個別化医療、分子標的の抗がん剤などをさらに追求したくて入社したのが、今の国内中堅製薬会社だった。ところが、配属はオンコロジー領域ではなくプライマリー領域、しかも開発ではなくMRであった。そして、親戚も友達も居ない、浜崎にとっては異国の、この地方中核都市に配属されたのだ。

 浜崎にとって、MRという仕事は、製薬会社に入社する動機や理想とはかけ離れているものだった。

 分子標的の抗がん剤研究もなければ、接待でのドクターとの会話にはエビデンスもない。あるのは数字と、口うるさい馬鹿な上司だけだった。

 しかも、彼女は人見知りで男が苦手なのだ。

 なぜMRに? またよりによって病院には男ばっかり。

 この不条理にくじけそうになったのだが、根がまじめで負けず嫌いの浜崎はなんとかMRとしてもそれなりの仕事をしたかった。 榊田に近づいて、この地域のKOL川田に近づく。成果を上げ、この仕事の閉塞感を打破したい。そう考える浜崎は、川田との接触がうまく行かなければ、会社を辞めることも考えていたのであった。

「こんにちはぁ〜」

 榊田は、浜崎と次の病院の中央外来待合室でもすれ違い、本日2度目の挨拶を受けた。

「あ、どうも。」

 榊田が気のない返事をすると、彼女は些か弾んだ感じで後ろをついてくる。それにしても、残念な笑みだ、と榊田は感じた。まるで田舎の予備校生。化粧もしない、全く色気も素っ気もない容姿。それにしても、先月まで挨拶もそこそこで、すぐに目をそらしていたのに、いったい何だろう。若干の疑問を榊田は感じていた。

「こんにちはぁ〜」

 3度目だ。この明るい挨拶は妙である。まあ、確かに浜崎が所属する会社と榊田の会社の製品は、似通った科を攻める。領域が重なるので、行く先々でバッティングするのはわからないでも無いが、はっきり言って一日何度もあの微妙なスマイルを見たくない。しかもここはオペ室の前。患者の家族と思しき人々が静かに座っているそばではふさわしくない明るい声の挨拶である。榊田は気まずくなった。

「あの、ちょっと」

 榊田は仕草で浜崎を促し、病院の外に連れ出した。

「君、ちょっと、変だよ。何か用?」

 威圧的な榊田のアプローチに恐縮している様子の浜崎は、声を振り絞るように言った。

「すみません。あの、ちょっと、お伺いしたいんですが・・・」

「なに?」

 早く用件を言えよ・・・と、言わんばかりに榊田が聞き返した。

「あの、外科の川田先生とは・・・」

「はい、はい、はい」

 榊田は、言いかけた彼女を途中で制した。彼女の目的はわかった。まあ、予想はしていたが。

「ああ、わかったよ。いいよ。上司に言われているんでしょ、俺に近づけって。じゃあ、来月東京で開かれる研究会に川田先生も行くから、君も来なよ」

続く

(かつしかニューヨーク)