田辺ファーマへの社名変更とその意義

皆さま、いかがお過ごしですか。long weekendも終わって、身体が重たいですよね。さて皆さま、転職をお考えでしたら、今すぐご連絡ください。11月中にプロセスが終了すれば、ちょうど区切りよく1月入社で新たな勤務先で再スタートを切れます。来年は、新しい自分が待っています。みたいな。

さて、転職というか、新たな職場という意味では、田辺ファーマも新たなスタートですね。

先日社長交代劇で元ファイザーの方が社長に就任された、田辺三菱製薬株式会社が「田辺ファーマ」に会社名を変更するらしいですね。

https://www.mt-pharma.co.jp/news/2025/MTPC251031.html

この社名変更は、単なる名称の変更ではなく、実は深い意味を持っているように思えます。そこで今回は、三菱ブランドと製薬事業の長い歴史を振り返りながら、今後の田辺ファーマの方向性について考えてみたいと思います。

三菱ブランド医薬品の意外な始まり

三菱といえば、その昔、三菱化成株式会社が米国のキー・ファーマシューティカルからテオフィリン徐放製剤の「テオドール」を購入したのが、三菱ブランドの製薬事業への本格参入の第一歩でした。

日本導入時に、当時「テオナ」というテオフィリン徐放製剤をオリジナルで開発していた国内の日研化学株式会社に導出して、日研化学がテオドールを販売することになりました。これが、三菱ブランドの医薬品第一号なのです。

つまり、三菱の製薬事業は自社開発ではなく、海外からの導入品と国内企業とのパートナーシップから始まったという、ちょっと意外な歴史があるんですね。

次々と続いた海外からの「買い物」

その後、三菱化成株式会社は次々とアメリカから薬の買い物をして、日本国内で日研化学株式会社、そして東京田辺製薬に導出しておりました。当時の三菱は、自社で直接販売するというよりも、海外の有望な医薬品を見極めて日本に持ち込み、それを国内の製薬企業にライセンスアウトするという、いわば「医薬品商社」的な役割を果たしていたわけです。

パートナー企業のその後

その後、日研化学株式会社は興和に買い取られ、日研化学株式会社を存続会社として、興和創薬株式会社になり、三菱グループから離れました。

一方、東京田辺製薬株式会社はその後、田辺製薬株式会社に吸収されて、田辺製薬株式会社として一本化しました。こうして、三菱のパートナー企業たちはそれぞれの道を歩んでいったのです。

三菱化学から三菱ウェルファーマへ

三菱化成株式会社は、三菱油化を統合して、1994年に三菱化学株式会社となりました。その後、製薬部門が分離独立して、三菱ウェルファーマとして2001年にスタートしました。

この時期、多くの化学メーカーが製薬部門を分社化する流れがあり、三菱もその例に漏れなかったわけです。製薬事業は化学事業とは異なる専門性が必要で、独立した経営体制の方が効率的だという判断があったのでしょう。

化学メーカー

化学メーカーの医薬品部門の分離独立というのは、もう昔から世界的にありますよね。アストラゼネカも昔はICIという化学メーカーだったし、当時ICIの日本法人があってMRも居ましたよね。あとまあ、アクゾからのオルガノンとか、ヘキストからのアベンティスからのサノフィ、チバガイギーからのノバルティスなどなど。国内も住友などなどありますね。

独立じゃなくても、どんどん分離して行った会社もあります。ファイザーは医療機器も農薬も動物薬も食品もやってましたが、全部切りました。武田も昔食品売ってましたよね。なぜか、お米屋さんから届くプラッシーというジュース、それから味の素みたいな「いの一番」といううま味調味料とか売ってました。懐かしいですね。

あと、醸造メーカーとか繊維メーカーとかの例もありますけど、また今度ですね。

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話戻って、三菱の流れに戻ります。

薬害エイズを経た統合の歴史

他方で、緑十字株式会社が、薬害エイズ問題で社会的に大きく批判され、吉富薬品と合併して吉富薬品となり、その後、社名をウェルファイドに変更したのです。この名称変更には、薬害エイズ問題からの再出発という意味合いが込められていたと言えるでしょう。

ウェルファイドは一瞬だけ存在した三菱東京製薬に吸収されて、その後三菱ウェルファーマになりました。この複雑な統合プロセスは、企業再編の難しさを物語っています。

そして田辺三菱製薬の誕生

で、三菱ウェルファーマは2007年に田辺製薬と合併して、田辺三菱製薬になったのです。2007年から現在まで、実に18年近く、田辺三菱製薬として続いておりました。その後、三菱化学グループの傘下に入り、財閥系企業としての色彩を強めていきました。

で、今回、三菱の看板が取れまして、田辺ファーマになるとのことですね。いやあ、再編を繰り返していますよね。これだけ複雑な統合の歴史を持つ企業も珍しいのではないでしょうか。

田辺ファーマの今後──脱・日本型経営への挑戦

まず、三菱の財閥系からの人選ではなく、トップにファイザーの元日本法人社長が来たということは、従来の日本企業文化の払拭を狙っていると思います。これは単なる人事異動ではなく、経営の抜本的な改革を意図している可能性が高いです。

先行事例:武田薬品とアステラスの改革

過去に武田薬品に元サノフィのクリストフ・ウェーバー社長が来てから、グローバル路線への大転換、そしてシャイアーの大型買収などがありました。シャイアー買収資金はファンドからの融資でした。かなり強引に見えましたが、結果的にはそれはうまく行ったのではないでしょうか。フューチャープログラム?でしたっけ?大規模なリストラもしましたよね。で、今また外国人社長が引き継ぎましたよね。武田の事例は、外部人材による改革が成功した好例と言えるでしょう。

アステラスは外資からの人選ではないですが、社内で改革派の畑中社長になってから、海外シフトを加速させて選択と集中でリストラも断行しました。内部登用でも、改革マインドを持ったリーダーであれば大胆な変革は可能だということを示しています。

三菱の看板が取れた意味

田辺ファーマに話を戻せば、まあ、三菱という財閥の看板が取れましたので、何か、ドラスティックなことをやりやすくなったのではないでしょうか?雰囲気的に。

財閥系企業には伝統や格式、そして様々なしがらみがあります。それが良い面もある一方で、大胆な改革の足かせになることも少なくありません。今回の社名変更は、そうした「重し」から解放されることを象徴しているようにも思えます。

数年前にもリストラをやりましたが、まだ人員的には余剰があるでしょうし、また人員削減を含む構造改革をするのかなあ。そしてM&Aも積極的に進めていくのか??グローバル製薬企業として生き残るためには、規模の拡大や技術の獲得が不可欠ですから、M&A戦略も重要になってくるはずです。

不透明だが意味深い未来

先のことは、よくわからないですね。神様じゃなければ。予測は難しいですが、少なくとも現状維持ではないことは確かでしょう。

でも何か、大きな意味がありそうです。社名変更、外部からのトップ人事、そして財閥系からの実質的な独立──これらすべてが、田辺ファーマの新たな挑戦の始まりを告げているように感じます。

日本の製薬業界は今、大きな転換点に立っています。田辺ファーマがどのような道を選び、どう変わっていくのか。その行く末を、静かに見守っていきたいと思います。


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