KOL担当よりも・・・

「優秀なMRである」というジャッジメントを得るときの指標のひとつとして、「KOLを担当した経験」ということがあるかと思います。 たとえば、その領域の権威の先生から直接携帯に連絡が来る・・・KOLとこんな関係構築をしているMRが居たら、ひょっとしたらその会社では社長より偉くなってしまうような勢いになるでしょう。

各製薬会社も、それぞれ主力製品を抱えている領域のKOLには、優秀とされているMRを配置するでしょうし、そのMRも誇りに思っていることだろうと思います。

しかしながら、KOLの「担当MR」自体は、そこまで優秀である必要があるでしょうか。

KOLは、この国の治療指針にかかわるので、製薬企業としてはとても大事な存在には変わりありません。しかしながら、薬を大量に使うかと言うと、KOL自身はそんなに使いません。 臨床よりもまずペーパーをとにかくたくさん書いて、たくさんの学会に出る。 症例が多数必要なペーパーの場合は関連施設や、部下や関連する医師に使わせて、その症例を集めると思います。

KOLは影響力は最大ですが、自身の医師としての薬の処方量はそれほどでもないかもしれません

各製薬企業は、本社の営業戦略部門やマーケティング部門に、そのKOLに張り付いている担当者が居るのです。 たとえば、その製品のプロマネなどが、直接の担当者になっているケースが多いです。 KOL本人とのやりとりは、むしろ担当MRの仕事ではなくて、本社サイドの仕事と言って良いでしょう。

話は少し飛躍しますが、経営判断の中に、「Strategic human resources・・・人事戦略」が重要である、ということは、火を見るより明らかなことです。「企業は人」とも言いますよね。もちろん、MRの適材適所についても、当然のことながら、strategyに則ることは必要です。ところが、現状ではこのstrategyがブレていたり、あるいは、strategyそのものが欠如していると、言わざるを得ないという状況が、非常に非常に多いような気がします。

優秀とされているMRの、戦略的な適材適所としては、どこになるのでしょうか。KOLを担当させることでしょうか

私なりの答えは、そのKOLと直結している医師が勤めている、基幹病院です。何しろ、こういう医師は、とにかく患者をたくさん診ていて、薬をたくさん処方します。しかも、その処方パターンは、KOLが学会などで発表したとおりです。 製薬企業としては、こういう病院にこそ、より優秀なMRを投入すべきだと思います。企業として、数字の大きな先が大事であるということは、否めないのです。

KOLと直結している医師は、何かと複雑な状況の場合がけっこう多いのです。たとえば、自分だって、将来のためにペーパーも書きたいがあまりの仕事量に、それどころではない先生。 あるいは、実は独自にKOLとは違った処方パターンを持っているのだが、おおっぴらにその処方をできずに、とりあえずKOLに従っている先生。 あるいは、待遇に不満があったり、キャリアパスに不安があったり、職場のスタッフとの関係がうまく行ってなかったり・・・などなど、毎日色々な事を抱えながら、日々の激務に忙殺されている場合が、かなり多いと思います。

それぞれの状況下で、まさに実務に当たっている医師を、それぞれの状況を踏まえがらうまくハンドリングできるMR。このような状況の医師を怒らせずに、へそを曲げさせずに、KOLも推薦している自社製品の処方をキープさせるMR。学術知識、エビデンスに関する最新情報を常にupdateして、自社製品の処方例を自信を持って紹介できるMR。

加えて、その医師の直面している状況を察知して、同じ立場で考えることができる・・・まあ、簡単に言えば、「一般常識」を兼ね備えているMRこそが、優秀なMRであり、会社からも優遇されるべきだと思います。

「優秀なMRである」というジャッジメントに、「KOLの担当経験」を重視する風潮があったら、それは間違いである・・・いやいや、そこまでは少し言いすぎです。しかしながら、見解をシフトすることも、あってよいのでは? と提案いたします。

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